ねこみなと鉄道前史

第二章 ゼンジロウと彦松

 雨が降り続いています。この数日ずっとです。

 ねこみなとの漁師たちは海に出ずに一日中寝ています。

ですがゼンジロウだけは、一人で海に出て、魚を取っておりました。

 大きなおいしい魚は取れません。雑魚に毛が生えたような魚ばかりですが、それでも活きはいいのでおっかさんは食べてくれるだろう、とゼンジロウは考えていました。

 浜で寝ているねこたちは

「あいつは何をしているんだ。雨が降るのに漁に出るなんて、よほど欲の皮が突っ張っているのだろう」

と冷ややかな目で見ているのですが、ゼンジロウはそんなことには気づいていないふりをしていました。

 ゼンジロウは漁を終えて浜に戻ると、いつものように魚を新聞紙に包んで、しっかりと胸に抱くとねこた村の停車場に向かって走りだそうとしました。

 ところが。

「おいゼンジロウ、ちょっと待ちやがれ」

 漁師仲間で一番身体の大きな彦松が、ゼンジロウの前に立ちはだかりました。

「ひとりだけで漁に出るとか、勝手な真似をしやがって。誰に断ってそんな真似をしくさるんだ。詫びとしてその魚を寄越せ」

 もちろん、これは言いがかりです。彦松はただゼンジロウの持つ魚を食べたいだけなのでした。

 ですが彦松の言うことが完全にでたらめではないことも、ゼンジロウにはわかっておりました。

 雨の降る日は遠くが見えず、船が海の浅いところに乗り上げたり、ひっくり返ったりしかねません。ねこたちが雨の日に出ないのは、雨に濡れたくないというのもそうなのですが、それ以上に危険を避けたい、と思うからなのでした。

 ところがゼンジロウのように抜け駆けで海に出るものがいると、我も我もと漁に出てしまい、たくさんの船が危険な目にあいかねません。ですから彦松がゼンジロウに向かって「勝手なことをするな」というのもまったく筋の通らないことではなかったのでした。

 ゼンジロウの顔が青くなりました。

 ゼンジロウは、自分が横紙破りなことをしたのには気がついています。なるたけ危険な目にはあわないようにと、いつもよりも遅い時間に漁に出てもいたのです。何匹かの漁師ねこには知られてしまいましたが、できるだけこっそりと目立たないように船を出してもいました。

 ですが彦松の言うとおりに魚を渡してしまうというのは、できない相談でした。

 この魚はおっかさんに食べさせるためのものでしたから。

 だからといって事情を彦松に話している時間もありません。急がないとねこた村の停車場から汽車が出てしまうでしょう。

 ゼンジロウはきゅっと唇を噛み締めると、強い目つきで彦松を睨みつけました。

そして何も言わずに思い切り彦松の頬げたを張り飛ばすと、そのままねこた村へと走りだしたのです。

 彦松の大きな身体が、どすーんという音を立てて崩れ落ちましたが、ゼンジロウは振り向きませんでした。

 ゼンジロウは走りました。

 びちゃびちゃと音を立てて、ぬかるみが足にからみつきます。

 身体は冷え、だんだんと重くなってきました。

 ゼンジロウは疲れきっていましたが、足を止めることはできません。

 止めたらもう動けなくなり、道端にへたりこんで停車場に行くことはできなくなってしまうでしょう。

「止まっちゃァ駄目だ。走らなければ」

 ゼンジロウは自分にそう言い聞かせて、停車場への道を急ぎました。

 停車場の手前にある練兵場のところまで来た時、ゼンジロウは汽笛を聞きました。

 発車の合図です。

 かわいそうに、ゼンジロウは汽車に間に合わなかったのです。

 昔の汽車ですから、一日に数本しか行き来しません。

 その一本を乗り過ごしてしまうと、その日はもうねこた村からねこ市に行って戻ってくることはできなくなるのでした。

 ゼンジロウはがっくりと肩を落とすと、来た時と同じように魚を抱えたまま、とぼとぼとねこみなとの浜に戻る道を歩き始めました。

 浜に戻ったゼンジロウは、ちょっとした英雄になっていました。

 誰もが逆らえなかった彦松を、ひとうちで倒してしまったことに、浜のねこたちは驚き、ゼンジロウを見なおしたのです。

 ねこはしょせんはけだものですから、理屈が通らないことをしていても、力が強ければ認めます。だからこれまで彦松は浜の親分でいられたのです。

 その彦松を倒したゼンジロウは、彦松にかわって浜のねこたちの親分になることになりました。これまでゼンジロウのことを欲ぶかだとかなんだとか陰で言っていた連中も、みんな手のひらを返してしまったのです。

 彦松の姿は見えません。

 ゼンジロウが戻ってくる前に、自分の小屋の荷物をまとめてどこかに去ってしまったのでした。

 さて、彦松をうち倒して親分になったゼンジロウは、彦松と同じように他のねこに打たれて負ければ、浜を出ていかなければならない運命を背負うことになりました。

 ところが、ゼンジロウを打ち倒そうとするねこは、その後現れなかったのです。

 彦松はというと、かなり横暴な親分でした。やっていることのほとんどは、自分だけがよくなるという勝手極まりないことでした。

 だけど十のうちここのつ勝手なことをしても、後のひとつで道理にかなったことをしていましたので、ねこみなとのねこたちはしぶしぶながらも、彦松を親分として立てていたのでした。

 ゼンジロウは、彦松とは逆でした。

 ゼンジロウのすることの十のうちここのつまでは、浜のみんなのことを思ってのことでした。のこりのひとつも勝手なことではなく、浜のねこたち十匹のうち一匹は不満に思いますが、他の九匹はそれは仕方のないことだと納得するようなことだったのです。

 ゼンジロウを親分としていることが、すべてのねこにとって望ましいこととなりましたので、ゼンジロウをうち倒して新しい親分になろうというねこは出てこなくなったのでした。

 ゼンジロウがねこみなとのねこたちの顔役になると、ゼンジロウがどうしてねこみなとに来て漁師ねこになったのかということも、自然と明らかになりました。

 これでゼンジロウの評判は、さらに上がりました。

 ただよいことばかりではありません。

 おっかさんのところに行きづらくなってしまったのです。

 親分になる前のゼンジロウは、漁が終わって他のねこがみんな寝てしまうのを待って、ねこた村の停車場からねこ市に行くことができました。

 でも今では子分になったねこたちが、「あっしが魚を届けてめぇりやす」とゼンジロウの回りを取り巻くようになってしまったのです。

 また、親分になったため、ゼンジロウはあまり長い間浜から離れることはできなくなりました。

 ある日のこと。

「どうすればいいか」とゼンジロウは汽車のデッキで腕組みをして考えていました。

 ねこた村とねこ市の間と、ねこみなとの浜からねこた村の停車場までは、ほぼ同じ距離でした。

 ねこみなとからねこた村の停車場まではうんざりするほどの時間がかかりますが、ねこた村からねこ市へはあっという間です。

「それは当然だな。だって汽車に乗っているのだから」

 誰が聞いているというわけでもないのに、ゼンジロウはそうつぶやきました。

「汽車がねこみなとまで通じていれば…」

 ふと、そう漏らしたすぐ後に、ゼンジロウは自分のことばにびっくりしました。

「汽車が、ねこみなとに?」

 確かに自分でそう言ったのですが、ゼンジロウはまだその言葉を自分のものだとは信じられませんでした。

 正しく生きているものの身体には、時に神様が宿ります。

 宿った神様は特になにかしてくれるというわけではなく、ひとことふたことつぶやいて立ち去ってしまいます。

 人もねこも多くの場合、この神様がつぶやかせたひとことに気づかず、そのまま忘れてしまいます。

 さらにごく稀にこのことに気づく人やねこがいて、そういったものたちがこの世を前へと進めていくことになるのです。

 本人にとっても世の中にとっても幸いなことに、ゼンジロウはその自分のひとことに気が付きました。

「汽車か。そうか汽車をねこみなとまで引けばいいのか」

 そうすれば、ゼンジロウはもっと自由に、浜のねこたちの面倒を見ながら、おっかさんに魚を届けることができるでしょう。

 ゼンジロウだけではありません。

 親がねこ市にいるものは、ゼンジロウと同じように、おっかさんやおっとさんに魚を届けられるようになるでしょう。

 ねこみなとで所帯を持っているねこは、魚をねこ市に売りにいき、そのお金で子供を学校にやることができるようになるかも知れません。

 汽車を引くことは、自分だけでなくきっとみんなのためになる。

 ゼンジロウは、ぐいとこぶしを握りしめていました。